指摘は提案型で!〜我家の夫婦関係は子育てに参考になる〜
こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。
私はanponponと名乗っているように、うっかり者で学習能力がない。だから、よく夫に叱られる。それに対し、夫は人以上にしっかり者。なので、私の行動に対し我慢できないことが多く、ダメ出しが多い。私が怒られても仕方のないことばかりしているのかもしれない。
ただ時々、「このままの私じゃダメなのぉ〜」と言いたくなる時がある。そんな時、「あぁ、そうかよく叱られる子供の気持ちはこんな感じなのだろうな」と思う。
そこで、子供の気持ちをよく理解できるように、自分の素直な気持ちを言語化してみようと思う。
甘えたい
そのままで素晴らしいって言って欲しい
優しく言ってほしい
甘えられないと頑張れない
頑張れと言わずに頑張ってるね、よくやってるねって言ってほしい
もし、このような態度や声かけを夫がしてくれるなら、私は安心して、いろんなことに頑張れる気がする。
改めて、言語化してみると、何て私は子供なんだと恥ずかしくなった。
何でこんなに甘えているのだろう。
子供の頃に十分に甘えたれた子供は自立が早いと言うが私は十分に甘えられてなかったのかな。いや、まあ、一般的な家庭とは違ったけど。。。大切にされていたと実感はある。
と、とりあえず私の子供の頃のことは置いといて
十分甘えられた子供は自立できる、自立するのが早いというのが分かる気がする。家で甘えれると、外で頑張れる。家で甘えられずに、外で頑張れるはずがない。家で嫌な気持ちになったら、心のパワーが減るし、他人にも優しくなれない。
家庭で十分心が満たされれば、外では心に余裕を持ったまま過ごすことができるってことではないだろうか。
この構造がよく分かるし、共感できるのだけれども
どっかでやはり、甘えてばかりいると自分の感情をコントロールできないのではないのではないか、何でも自分の思い通りにならないと我慢できないのではと、そのことが頭をよぎる。
しかし、おそらく実際は
子供は分かっている。何でも自分の思い通りにならないこと、そして我がまま言うと嫌われれることも。
ここで必要になってくるのが、良い手本だろう。
外で頑張れる子供、我がままにならない子供、他人に優しくできる子供でいて欲しいなら、
親は子供の甘えを十分に満たすことと同時に、正しい手本、見本を示すことも重要だ。
手本がなければ、どうしていいかわからない。
例えば、私のダメな行動を夫が何でも許してくれていたら、私は成長できない。だから、指摘してもらうのは有り難い。
ただ!!!
優しく言って欲しい。
でも優しく言われたら直らないかな。
そんなことはないと思う。
真剣に伝えてくれれば、私も真剣に受け取ると思う。
「こうした方がいいんじゃない」
そう言われたい!!
そっか、子供にも
「こうした方がいいんじゃない」
って
提案型で行こう!
ではでは。。。。
本当の頭の良さとは〜お医者さんに感じたことから〜
こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。
先日、病院に行きました。そこで、先生が熱心に丁寧にどうしたら良いかご指導して下さいました。先生からは熱意を感じ、この病院にお世話になりたいと思いました。
とそれとは別に、その先生とのやり取りの後に感じたことをまとめたいと思います。
先生は先生の考えに基づいて話されているのを感じると同時に、これは先生が考えたことではなく、勉強したことを話されていると感じました。(私の勝手な想像ですが)
もちろん、勉強されたからこそ、たどり着いた答えだと思います。
ただ、私とのやり取りの間、こちらの反応に対して、それに対して導いていく感じがないというか、一方的な感じがありました。
自分が持っている答えを話されているだけの感じがしました。それはそれで良いのかもしれません。
ただ、私が感じ取ったことは、この先生はこれまで一生懸命勉強されて、教科書と向き合ってこられたのだなと。
先生の考えはこれまでの医学のやり方をどちらかというと否定的で、患者の選択を優先する考えで、対処療法ではなく根本的な治療をしようという考え。これには全く共感というか、同意です。
私が言いたいのは先生の医療に対する考えは完全に賛同。ただ、先生を通して頭の良さについて考えたくなりました。
所謂、勉強というのは答えを見つけるためだなと思ったのです。
勉強というのはある意味、自分で考えなくなる行為のようにも思えました。
なぜか、この先生が自分で考えていないように見えたのです。
考えるためにはもちろん、知識も必要です。知識があって、深掘りできます。そして、その先に見えてくるものがあります。
きっと、私はこの先生に自分の軸をもとに目の前にある現象を理解して欲しかったのだと思います。
そして、最適な答えを考えて欲しかったのだと思います。
では“頭がいい“とはどのように考えているのか、思いつくままに
・正しい判断ができる
・他人を理解できる
・本物の価値がわかる
・自己肯定感がある
・時間の使い方が上手い
・自分を良く理解している
・楽しく生きていける
・余裕がある
・思い込みを避けることができる
・ユーモアがある
では頭が良くなるためにはどうしたらいいのでしょうか?
私が思いついた“頭の良さ”においては
本と向き合い、勉強するだけでは十分ではありません。
今回は主にコミュニケーションにおける頭の良さについて感じたことなので
何か研究したり、何かを生産したりする人などまた、別の頭の良さがあるかもしれません。
常識を疑う、問題点を発見できるなど。
しかし、共通して言えるのは精神的な余裕が必要になってくると思います。
精神的な余裕がないと、目の前にある現象をありのままに理解できないと思うからです。
だからやはり「自己肯定感」が重要なのです。
自己肯定感を土台に
好奇心、意欲が育まれる。
他に運動、様々な体験も重要になってきたり、いろいろあるとは思いますが
「自己肯定感」だけは外されないなと思いました。
子育ては自己肯定感を育みつつ
あとはその子の長所を発見し、それを伸ばす
よく言われることですが、改めてそのことが腑に落ちました。
ではでは。。。。
自己肯定感について再構築中〜キーワードは「安心感」〜
こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。
ずっとこれまで「自己肯定感」を意識した子育てをしてきた。
だけど、今、思えば本質の理解不足で、それを育てる方法論に、より意識が向いていたように思う。
まだまだ完璧に理解はできていないかもしれないが、現時点での私の理解を整理したいと思う。
<子育てで一番重要なこと>
『自己肯定感』を育てること
理由:生きる力、頑張れる力、他人を大切にできる力となるから、自分でやってみたいという意欲の土台となる
〈自己肯定感とは〉
・自分は大切な存在なんだ
・自分は必要とされる存在なんだ
と、意識せず潜在意識にあること⇨だから、三つ子の魂100までっていうのかも
〈自己肯定感を育てるには〉
・十分に甘えることができた経験があること
理由:安心感を得られるから
この『安心感』という視点がこれまで発見できていなかった。「甘えさせる」こと、肯定することが大事だとしか、捉えていなかった。そういう捉え方だったから、いろいろ迷うことがあったんだと思う。
特に心を満たすことが大事、存在を全肯定することなどの言葉と「甘えさせる」という言葉をそのまま受け取っていて、要求、欲求をどこまで満たせば良いか、本人の意思をどこまで尊重して良いのか、葛藤することが度々あった。
一番、大事なことはいかに「安心感」を与えるか、抱かせるかだったのだと気付いた。
「甘えさせる」ことが大事と言う言葉は非常に親を悩ませる。
「甘えさせは良いけど、甘やかしは良くない」って言われて、「この場合はどっちなの?」と。
その答えとして「甘えさせ」は情緒的な欲求を満たすことで、「甘やかし」は物質的な要求に応えることで良くないと言われる。この線引きははっきりしているようで、何か違うような気もしていた。物質的な要求と言っても、裏には情緒的な要求が潜んでいる時を感じることもあった。
この違和感を解決してくれそうなのが
「安心感」とういう視点。そもそも「自己肯定感」を必死に育てようとしているのは、子供が自立するためでもある。安心感があってこそ、頑張れる。
この「安心感」というキーワードで方法を振り返ってみると、だいぶ説明がつく。例えば、おっぱい子育てや添い寝。ほらほらこれも安心感を与えるためだったんだ!
「安心感」を子供に与えると意識してみると、例えば、子供がおもちゃを欲しがっていた時にそれを買ったからといって、安心感を与えることにはならない。ただ、この場合、いきなり「ダメ!」と切り捨ててしまったり、全く、相手にしなかったりすると、子供は多分だけど、自分のこと嫌いなんだとか受け取ってしまう可能性がある。
ここで「安心感を与えるにはどう対応したら良いのか」と考えて、対応すると良いのだと思う。
ではさっそくシミュレーション。
子供:「このおもちゃが欲しい!買ってー」
親:(安心感を与えるためには!)「このおもちゃが欲しんだね。かっこいいもんね。でも今日はお誕生日じゃないから、お誕生日の時に買おうね」
子供:「いやー、今欲しい!」
親:「今、欲しんだね。困ったなぁ」と濁していく?
「安心感」を意識した時、もちろん生存への補償とか、もちろん重要だけど、「気持ちをわかってもらえた」ってことが特に子供には大切なことに思う。大人の私でさえ、気持ちをわかってもらえると、すごく嬉しいし安心する。
親の役割で一番重要なことを『安心感』を与えることだという意識で過ごして見て見ることにすると、確かに年齢が低いほど、親を必要とする理由が分かる。10歳まで十分に甘えさせることが大事だと言われることにも説明がつく。
そして、この「安心感」を軸にしておくと、子供が成長した時に不必要な手助けが必要ないことが見えてくる。
そして、子供が成長した時に子供に安心感を与えることとは何か。親自身が幸せであること。親自身が幸せであることが、子育てで大事と言われるがこれもこういうことではないだろうか。
『安心感』この言葉に安心している今の私。。。
ではでは。今回はここまで。
子供の習い事について頭の整理
こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。
子供に習い事をさせたい!しかし、何を習わせるか、まず迷うし、子供が習いたがらないという問題がある。
そもそも何故、私は子供に習い事をさせたいのだろう。
考えてみると、能力開発、能力を伸ばす的なことしか、正直言って考えてなかった。
でも改めて考えてみると、習い事をやる目的はもっと広くとらえて良いのかも。例えば、大人の習い事として考えてみると、
①興味があるから
②好きだから
たぶん、これらの理由が多いのではないだろうか。
中には、仕事で必要なスキルとかもあると思うが、それらは積極的に自ら主体的に取り組んでる方が多いと思う。
子供にとっても、習い事はそうであっても良いのかも。
まずは主体的に選択することが重要。興味があったり、好きでないと続かないし、そうであればグングン伸びる。
だから、子供が習いたいと思うものを習わせれば良いんだと思う。そうやって意思決定を本人に任せることで、自己肯定感の向上、またその積み重ねが決断力につながるのだと思う。
と、そんな風に考えてみる一方で、
親としては色々とやはり欲と心配が出てくる。
まずはその欲を吐き出してみる。
・得意なことを伸ばしたい
・幼い時の方が脳の能力を開発できそう。
・スポーツで丈夫な体と脳開発、コミュニケーション能力向上
・集中力を養いたい
・テレビやゲームの時間よりは習い事で時間を使った方がいい
・あわよくば習い事の先生に礼儀もしつけて欲しい
心配なこと
・早いうちに学習系を習わせた方が勉強が理解できて、のちに勉強が嫌にならな
いのでは。勉強がわからなくなると、ついていけなくて悪循環が生まれそう。
・子供の意思に任せてていいのだろうか。
親が選択した方がいいのでは。
・子供は基本、楽をしたがるので厳しさがある習いごとは避けたがる。
強制的にでも行かせた方がいいのでは。
こうして吐き出してみると、まず見てくるのは私は習い事に過剰な期待をしているということだ。
まず、子供は学校でめちゃくちゃ頑張ってきている、学校でもいろんなことを教えてくれている。実はそれで十分じゃないか‼︎
もし、私が仕事を終えて、好きでもない習い事に強制的に行かされたら毎日がどんなに苦痛か。ヘトヘトになりそう。
また、視点を遠い未来に向けて、子供が大人になった時に「気楽に楽しく生き抜いている」のはどちらだろう。
そう考えてみると、やはり答えは
子供が嫌がることはさせない。本人の意思を尊重するってことではないだろうかと思えてきた。
ただ親としての欲、期待も捨てれないので、とりあえず色々、体験させてみたい。選択肢をたくさん知って欲しい。でもこれって、習い事をしないといけないってプレッシャーにもなるような。。。
「したくないなら、しなくていいんだよ」と前置きしたらいいのかな。まあ、一つぐらい、親に無理やり行かされたって言うのがあってもダメかな。よっぽど、苦痛な感じだった時に止めればいいのかも。やっていくうちに面白くなったりしないかな。
やっぱり、やっぱり、習い事に期待している私がいる。
ただ習い事に関して、子供の年齢によって対応を変えていいと思う。これは実感としてだが、小学低学年まではよっぽど嫌がらなければ、ある程度、親が決めて行かなければならないとしてていいと思う。この頃の年齢の子供はちょっとした気分で行きたくないと言ったりする。はっきりとこれが習いたい、やってみたいと言うのがあれば、それが良いに越したことはないが。
まとめると
①習い事は本人の意思を尊重する
理由:意思決定の練習、決断力になるから。自己肯定感の向上、好きじゃないと続かない、伸びない、嫌なことを無理にさせることまでのことではない
ではでは。今回はこの辺で。
親の役割〜二つの資本〜
こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。
子育てをしていると、どこまで親は子供に教えれば良いのだろうかと思う時があります。これは過保護ではないのか、親に頼りっきりにならないのか。
いやいや、動物の子育てを見ていると、生きていくために必要な術を子供が習得するまで側にいて教えている。それで、もう大丈夫だと思ってから、自ら離れていく。
だから、社会で気楽に楽しく生き延びるためには必要だと思うことは思いっきり、遠慮なく、過保護とか気にしないで教えて良いのかも‼︎
親は人生で初めての先生というし。
伝えたいことがたくさんある。
社会人になってから初めて知ったことがある。それらはもっと社会人になる前に知っておきたかったことばかり。
社会人になる前に知って習得しておけば、社会人になったときに目の前の仕事に集中できるという私の仮説。
親だけではなく、社会も子供を育てるとよく言われるが、その社会が破綻しているように思う。子供を一緒に育てていたコミュニティーが。
例えば、近所、親戚。昔に比べ、そもそも明らかに接触機会が少ない(各家庭で差はあると思うが)。核家族。
学校は基本、勉強を教えてくれるところ、日本式集団生活の仕方は教えてくれると思うが、それでは不十分。
だから、現代の日本は親の子育てに対する役割が増えていると思う。
おそらく、それらは私の考える範囲内だから、社会に出てもそれで十分ではないだろう。
では私の考える社会にでる前に習得しとくべきこととは。
たくさんあるから、こういう場合は優先順位が大切だ。
何でもまず資本があってこそ。
資本①丈夫な身体
②心
と、ここまで書いて、親がやることはこの二つではないかという気もしてきた。
この二つをとにかく、真ん中にズトーンと大きな大黒柱を子供の中に植え付けるイメージ。
そのほかのことは機会があれば伝えていく感じでいいのかも。余裕があれば〜くらいの。
①丈夫な体の作り方
1)食事:お米を中心とした日本の伝統食(パンはお菓子と位置付ける
2)睡眠:理想は9時までに就寝
3)運動:習い事(できれば毎日ジョギングして欲しいんだけど。。。)
4)歯の健康(定期的なメンテナンス、歯磨き、炭酸飲料、アイスは極力避ける)
5)できるだけ抗生物質を避ける(これは個人的な見解です)
このあたりだろうか。
②心
一言で言うと「自己肯定感」。
何故自己肯定感が大事なのかと言うと、結局いわゆる「非認知能力」につながるから。粘り強さとか、レジリエンスとか、「生き抜く力」となっていく。
と同時に自分を大切に思えれば、他人も大事にできる。
今の私が知っているこの自己肯定感の育て方としては
1)存在の全肯定(良いことした時ではなく)
2)2〜3歳ごろまでは生理的欲求を満たすことが重要
3)甘えを十分に受け入れる
要はいかに本人が自分は大切にされているかと実感できるかということなのだけれども。
一言で言うと「自己肯定感」と簡単に言えるけど、この自己肯定感を育てると意識したときに、さまざまな壁を感じる。(私が本質を理解できていないからだと思うが)
ではでは。今回はここまで。
他人の放った言葉が、自分の心を作るかもPart2〜子供の心を成長させるのは、親が自分自身に向けて発言した言葉が最強〜
こんにちは、anponponです。
このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいのですが、ご興味のある方はどうぞ〜。
前回、言葉の影響力を実感した話を書きました。そのことについて、もう少し深めていきたいと思います。
前回の記事に『子供が最近よく、下の子に向かって「うるせー、黙れ」と言うことがありました。(もちろん注意しますよ)
それを日々聞いている、私は何と、嫌なことがあると心の中でその言葉ではないですが、無意識にそれに似たような心を作っていることに気が付きました。
もしかしたら、私の言い訳かもしれませんが、そのような気持ちになっている回数が増えているような気がするのです。
言葉が心を作るとよく言いますが、それを聞いている周りにの心にも影響を与えているとうことを強く実感した出来事でした。』
と書きました。
つまり、自分が話す言葉は周りにいる他人の心も作っているのではないかと思うのです。
自己を高めるってことでは、周りの人が話す言葉で心を作っていくのではないかと。
最近、「自分を変えるには人と会うこと」それが一番の近道という話を何度か耳にしました。これはまさに、人が話す言葉が心を作るってことではないかと。
子供の話を聞く、共感する、認めることも大切ですが(自己肯定感を高めるため)、子供の成長を考えた時、「人の話た言葉が他人の心を作る」ということを自覚し?信じて、親が自分の発言を選ぶと良いのではないかと思います。
Pointとしては、子供に対して発するのではなく、音楽のように聴かせる言葉。そう思う理由は上手く説明できないですが。。。その方が心に届く感じがします。
で、音楽のような言葉ということは、う〜ん。。。。
何を言いたいかというと子供に向けて話た言葉よりも、親自身が自分に向けた言葉がいいということ。
その理由は、例えば、「頑張れー」と子供に向けて発した言葉は、子供の心に「頑張れー」と刻みこまれる。「頑張れー」とは他人に向けて発する言葉。だから自分が頑張ることにはならない。親が「今日はこれを頑張ろう」と言っていると、子供の心に届くのは「頑張ろう」という言葉。結果、子供の心に残るのは「頑張ろう」という言葉。そして、繰り返し聞くと、心に反芻され、その「頑張ろう」という言葉が、子供の「頑張ろう」という心が作り上げられていくのではないかという今回の私の結論の仮説です。
「自分の発言が他人の心を作る」と思って、数日、過ごしてみたら、自分に対してポジティブな言葉を使おうと思っていた時よりも、気持ちが入るし、言葉を慎重に選ぶ意識が強くなりました。話す言葉に対するやりがいというものを見出した感じです。そして、笑顔も心がけるようになりました。笑顔を向けることで、その笑顔を見た人の気持ちが明るくなるかもしれないと思って。
とはいえ、なかなか、自分に向けた言葉を話すというのは、やはり独り言以外は難しい。
私はこう思ったんだっていう話をすればいいのかも。
「今日、こんなことがあって、お母さんはこう感じたんだ、思ったんだ」とか、「昔、こんなことがあって、その時、お母さんはこんな風に思っていたんだ」
とか。
ちなみに、テレビとか、ユーチューブとかで話されていることも、心を作るのかもしれませんが、(その時だけでスルーしてしまがち?)
当たり前のことですが、その人に向けて話た言葉の方がよりダイレクトに心に届くように思います。
また私、自身も人の言葉で自分の心が作られると信じ、出会う人を求めていきたいと思います。
ではでは。。。
他人の放った言葉が、自分の心が作られたかも〜これを子育てに活かす〜
こんにちは、anponponです。
このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいのですが、ご興味のある方はどうぞ〜。
今回は言葉の影響力を実感した話を書きたいと思います。
子供が最近よく、下の子に向かって「うるせー、黙れ」と言うことがありました。(もちろん注意しますよ)
それを日々聞いている、私は何と、嫌なことがあると心の中でその言葉ではないですが、無意識にそれに似たような心を作っていることに気が付きました。
もしかしたら、私の言い訳かもしれませんが、そのような気持ちになっている回数が増えているような気がするのです。
言葉が心を作るとよく言いますが、
それを聞いている周りにの心にも影響を与えているとうことを強く実感した出来事でした。
それを逆手にとって
こんな風な気持ちをたくさん持って欲しいなとう言葉を日々、使い、子供の心が美しく、優しくなればいいなと思いました。
具体的に行動を起こすためにここで、その言葉を考えておきたいと思います。要はポジティブな言葉です。
ポイントとしてはやはり、本気の言葉しか心に届かないと思うんですよね。子供の「うるせー、黙れ」と言う言葉も心からの本心の言葉だったから、私の心に残ったのだと思います。それから、一言ではなく具体的な方がいいような気がしてます。例えば「ありがとう」を連呼しても、感謝の心は作られないような気が。。。。
「あ〜、有難い、有難い、生きているだけで丸儲け」
「あ〜ご飯が美味しい、ご飯がお腹いっぱい食べれて有難い」
「あ〜お風呂に入ると気持ちいい〜、お風呂に使えるお水がたくさんあって有難い」
「誰かが、今、寝ずに働いていてくれるから、安心して眠れる、有難い」
「あ〜何だかワクワクしてきた」
「あ〜今日は〇〇が楽しかったな」
「〇〇が面白い!」
「あ〜〇〇が嬉しい!」
ちょっと、気になったことが。
悲しいとか嫌だったとか、ネガティブな気持ちも日々、生活しているとありますよね。
自分の心を言葉で的確に表現することは大切なことだから、ネガティブな言葉も表現していいのかも。
イヤイヤ、心とういうものはほっておいたらネガティブな方向に行くからこそ、言葉でポジティブな方向に持っていくとう技法だとして、やっぱりポジティブな言葉を声に出していこうと思います。
ではでは。。。。。