anponpon‘s blog

〜40代主婦(小学生・未就学児のママ→小学生に)ブログ〜

2022.7.20「子育てに正解がないのではなく、子育ての正解は見えない」

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 


私の最近の子育て観(目標?)は

「その子だけが持っている言葉にできない特性を支え、できるだけ表出させあげ、本人がそれに気づき、その欲求を成仏できる人生を送れること」

 


やはり、子育て=親の人生観だなとつくづく思う。

だから存在する子育ては「子育てに正解はない」になっている。

 


しかし、私は「子育てには正解がないのではなく、見えない」

 


この子育て観より考えると

よく「子育てに正解はない」と言われることは実は「子育てに正解がないのではなく、そ子育ての正解は見えない」と表現した方が良さそうだなと思う。

 


もともと「子育てに正解はない」という言葉が何か嫌だった。

この言葉は一見、頑張っている母親に対して優しい言葉のように思えるけど、私の受け止め方としては突き放された感じというか、この言葉では前進しようがないというか。

「子育てに正解はない」という言葉は何が言いたいのかというと、こうすればこうなるとか、誰にとっても当てはまる答えはないですよってことだと思うので、ある意味、今の私の子育て観と一致しているのだけれども。この言葉だけでは足りないと言うか。それを言われたところで・・・・って感じで。何かだからどうしたらいいのだろうとまた振り出しに戻る感じだったので、この言葉が私の心に受け止めることができなかった。

 


「子育てに正解は見えない」っていう言葉はどうだろうか?何だか、頑張れば見えてきそうな感じがする!あることはあるのね‼︎見えてないだけなのねって。

あくまでもこれは私の子育て観の屁理屈にしかすぎないのですが。

 


この言葉の意味を解説をすると、

その子の持って生まれた欲求はもしかしたら一生成仏できないかもしれないし、おそらく20歳ごろの成人した時期ではなく、多くの人は人生の後半だと思うから。

 


また、「子育てに正解はない」と言う言葉は子育ての目標は人それぞれってことなのだろうか。例えば子育ての目標は自立することだとよく言われるし、私もとりあずその前提で考えてみたりもした(何か違和感を感じつつ)。そんなことは今思えば次元が低いことのように思う。どうでもいいこと、あるいは当たり前のこと。いや、自立なんて本来はこの世では成立しない。嘘だ。人間はずっと死ぬまで誰かのお世話になっていくものだし。

子どもを自立させるって言葉にあまりこだわらなくていいのではないかなと。もし、障害を抱えて生まれたお子さんにっとってはむしろ負担になる言葉でもある。

じゃあ、自立させなくてもいいのかといことではなくて、障害がない子はもちろん、いずれ物質的に親からの自立、社会の一つの機能を果たせるように自立することは価値のあることだけれども、それがテッペンのことではないと言う感じ。もっと先に人間の存在の意味はあると考え、今の結論がある。

 


まとめると

「子育てに正解がないのではなく、子育ての正解は見えない」その意味は人によって一生正解(その人にとっての正解)に辿り着かないかもしれないし、たどり着いてもほとんどの人が人生の後半だと思う。よって子育て中に子育ての正解は見えない。もっと言うと、きっと子育ての正解を出せるのは親ではなく、子ども自身なのだと思う。

 


そして、よく言われる子育ての目標である「子どもが成人した時に自立すること」という目標はある意味当たり前でかつ浅いところ、また普遍性がないと私は思う。そもそも自立するのは子どもの課題、親の目標ではない。

 


ではでは・・・