2022.8「母親の道という道はない」
こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。
現在2022.12.2
夏休みにフリースクール、保育園で数日間体験?をしてきました。
そこでの体験、出会った先生たちにたくさん質問して、随分、子育てに対する迷いが減り、軸のようなものができたように思います。
一番の収穫は自分自身の姿に気づいたこと。
また、人を育てるとはどういうことかということが実感として掴めたように思います。
↓体験後の私の感想
正しい到着地点はどこだろう、歩き方どうだっけ?右足から出した方がいいのか左から出したらいいのか、この角度でいいのか、そもそも歩くってなんだ?
そして時々、後ろを振り返ってあれはあーしたほうが良かったとか考えているだけ。
だからちっとも歩けないでいたんだ。
ない道、ない到着地点だったから歩けないはずだ。
私が歩こうとしていたのは母親としての道だった。
私が歩けるのは母親になってもやはり私の道、私という人間の到着地点しかなかったのだ。
私は子どもにこれになりなさい、大学行きなさいとか言うつもりもないし、子どもには自分の将来は自分で決めてもらうつもりでいた。
だから私は子どもには子どもの道を歩ませているつもりだった。しかし、実際は私は子どもの正しい到着地点を探して、その道を自分が子どもをおんぶして歩こうとしていた。
到着地点を決め、そこに目指して歩くのは子ども自身なのに。
私がしてきたこと、積み重ねてきたのは子育てではなく、子育て観だった。
母親の道という道はない。ただ言動は感染るという事実。
子どもに教えないといけない、教えたいことは手本となるしかない。本気の手本は感染る。今回出会った人たちに私が育てられそう体感したから。
改めて本よりも、会った方が劇的に人は変化するんだなと思った。
本当に手本としているだけでいいのか?教えなければならないことないの?いや、やっぱり教えなくていい‼︎私は子どもに立つこと、歩くこと、話すことを教えていない!あの時、本当に不思議だった。何で教えてないのにできるのだろう?生きていくために子どもは順番にできるようになっていった。
これが3つ子の魂100までってことなのでは。3歳まで子どもはとにかくよく周りを観察している。思考なしに。きっと無意識の領域に吸収しているから考えないで立てるし、歩けるのだと思う。ひたすた周りを手本として吸収しているのではないだろうか。
ここで出会った人たちに私自身が育てられ、人の育て方がわかったように思う。子どもに接する姿、声かけの仕方がうつったから。
ここで学んだこと
母になっても自分が歩ける道は自分の道。
子どもの人生を歩くのは子ども自身。
人を育てるのに効果的な方法は自分が手本となる、教えないこと。
本気の取り組み、姿は感染る。
本気の姿とは心が伴っていること、口先でないこと、心がこもっていること。
あと、気づかせることへのアプローチはいいが考える子どもにしたかったら教えないこと、教えないと自分で考え始める。
子育てに考える必要はない、ただ自分が手本になること
ではでは〜