anponpon‘s blog

〜40代主婦(小学生・未就学児のママ→小学生に)ブログ〜

私の感覚と考えを信じて、最低限やるべきことを親子それぞれやる 2020.10.8

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 


夫と子育ての話をしていて気づいたことがある。私は子育てについて子育て本の通りにしないといけないと思い込んでいる、私と子供を本の中に書かれている枠に当てはめようとしていたと気付いた。ふと、もっと自分の感覚と考えを信じて子育てしていけば良いのではないかという思いが出てきた。子育てを実際するのは私。子育てでも私ができるのとできないことがあるはず。自分らしくしか出来ないのだと。

 


それと私は子供に欲を持ちすぎだと気がついた。子供の幸せを願っているつもりでいたが、それは欲だったと。友達に対して、こうなってほしいなんて思わないように、子供もそれで良いのではないか。これが別人格ってことではないかと。

 


ただ、子供は子供である。友達とは違う。親には子供の成長を手助けする役割がある。要らぬ欲を持たぬよう最低限、自分がすべきことと、子供にやってほしいことだけに集中することで、要らぬ欲を持ち込まないようにしたい。

 


「最低限私と子供がそれぞれやること」

①料理:美味しく健康的な料理を作る

②環境:気持ちの良い状態に 清々しさを与える 

③私自身が手本になる

 


子供

①基本的生活習慣や礼儀を身につける

②お手伝い

③学習

 


基本的にマナーや礼儀は言うのではなく、親が手本となり自然に身につけいくと考える。ただ、気づいてないことには気づきを促す。

 


子育ての目標とか、そんなの考えていない。ただ、必要だと直感的に考えたことで決めた。能力を伸ばすとかそれもこっち側の欲に思えてきた。余計なお世話だ。きっと子供を窮屈にさせるし、子供に期待するとはある意味失礼なことだ。そのままの君ではダメだと言っているようなものだ。

子供自信が気づいて取り組むことだろう。もちろん、求めてきた必要な助けには援助するつもりでいる。

 


道徳的なことを教える必要はもちろんある。特に今の日本ではそれを外の環境に自然に存在する状態ではない。ただ、具体的にイチイチ言うつもりもない。道徳的なことを言葉で断定してしまうと思考停止になりかねないし、そもそも私が伝えるのは難しい。完全に理解していると言えないし。私自身の生き方から伝わってほしいのと、機会があったときに説明し、あと少し積極的に道徳の勉強になるなと思う場所に一緒に訪れていこうと思う。

 

 

 

最近、自分の強みを活かして生きていきたいと思うようになった。当たり前のことだが、それこそが上手くいく秘訣のようだ。考えてみると強みって言うのは与えられた使命のようなものにも思う。

 

子育ても自分の強みを活かせば良いのではないかと思った。

そうでしか、きっと上手くいかない。

 


だから、叱る時だって私らしくユーモラスに言って良いんだと。

思えば、本に書いてある通りにしようとすると、子供は気持ち悪がっていた。それが何よりの証拠ではないか。

 


これからも子育てに関する本は読んでいきたい。やはり参考になる。ただ距離を持って、自分が基本軸に置いたことをより実行できやすいことだけを参考にしようと思う。

 


その通りにはしない。本の解釈を間違えてはいけない、主張を正確に読み取らなければならないと考えていたけど、そこにはあまり拘らなくて良いのかなと。

本を読んで、自分から出てきたアウトプットでいいのではないかと。(もしかしたらこれは間違ってるかもしれないので保留案件だけど)

 


夫と子育てのオンライン講座の受講をした後、夫が「別に嫌われたって良いし、コミュニケーション能力がなくても良いやん、決めつけなくて良い」と。何かそれを聞いて、私の子育ての思い込みが少し解かれたように思う。

 


考える力、コミュニケーション能力、課題解決などなど。。。。人それぞぞれで良いと。

 


子供が小学校に入って徐々に親の役割とは何か、どこまでが親の役割なのかと悩むことが多かった。そんなの分からないくても良い。

 


そんなこと考えるよりも

最低限のこと丁寧にそれぞれがやる。自分らしく自分の強みを生かした子育てをする。

このことから私が今後もブレませんように。。。。。

 

 

 

ではでは。。。。

しつけについて 20209.9

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 


しつけについてある本を読んでインスパイアされたので

今回はしつけについて頭の整理をしたいと思う。

 


まず自分の中でしつけの定義をしておいたほうがいい。なんでもきちんと決められたことをすればいいってという方向に行かないために。

 


私のしつけの定義

・子供が将来、幸せに生きていくために親が伝え、習慣化させておいたほうがいいこと。だとすると、最終的なゴールは子供自身が言われなくても身についていなければならない。当たり前のレベルで。

 


そもそもしつけはしないといけないのか。

 


しつけをする行為は子育てにおいて、かなりの負担とハードルになる。 

しつけをしない方が親は楽だし、子供も日々、呑気に楽しく過ごせるかもしれない。つまり、子供の言動全てに口を出さずに、子供に任せるということになる。

 


しつけをされないで育った子供はどういう大人になるのか。

これはある意味、逆に子供が自分で考える大人になれるような気もしてきた。

 


なるほど!!ここにしつけの本質が見えてきた!

 


実はしつけとして親が事細かに命令・指示する方がメリットがない。むしろデメリットの方が多いかもしれない。自分で考えない、親を煙たがる、反発する。そもそも何回も繰り返し言わないといけないという前提が間違っているのかもしれない。

 


まず、私たち親は子供の言動全てに口出しせず、子供に任せるというスタートラインに立った方が良さそうだ。

 


いずれ子供は親の保護から離れなければならない。親元を離れた子供にとって一番頼りにする人は誰か、誰が自分の人生は選択し、判断していくのか。その結果を受けるのは誰か。それは自分でしかない。ではそのためには子供に何が一番必要か。

 


当たり前であるが自分で考え、判断する能力。

 


子育てで何より大事なのは子供が基本的生活習慣やマナーを完璧にできる大人になることを目指すことではない。自立させることである。

 


しつけ、しつけと目鯨を立てる前にしつけよりも大事なことがあることをまず忘れないようにしなければ。

 

 

 

ではでは。。。。。

「本に書いてあることより、自分の感覚を優先して、伝えていことを伝えてみた」 2020.9中旬

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 


最近、子育ての本を改めて再読している。著者が違うと、共通している部分もあるけど、考えが違う部分もあって(私が内容がよく理解できず消化不良気味なだけかもしれないが)どう子供にしつけしていいのか、何が正しいのか分からなくなって、もやもやしていた。

 

 

 

しかし、もうこの状態に我慢できないと思った。もっと本を読んでもっと理解できて、きちんと対応の仕方を学んでからと考えていたけど、子供の言動が気になって仕方ない。

 


もういい。

一度、子育ての本のことは置いといて、自分が言いたいことを子供達に自分が思いつく言葉で伝えようと思った。命令や指示はよくないのかもしれないが、言いたいことを伝えると決心した。

 


下のが食事が終えるとすぐにテレビをつける。しかし、まだ上の子が食事を終えていない。みんなが食事を終えてからにしてほしいというと、ジダンダを踏み、私を叩いたり蹴ったりする。これまでもずっとママを蹴ったり叩いたりしてはいけないと何回も伝えてきた。私をなめているのかもしれない。叩き返して怖がらせて、させないようにすることも考えたが、それは言ってることと矛盾すると思いしてこなかった。

 


まず、ママに対する暴力はいけないと少々声を荒げて言った。それでも叩いてくるので、毅然とした態度で、叩いてこようとする手を止めたりした。自分から手は出さないが、その行為を止めるためのアクションは起こした。

 


そして、ついでに言いたいことを上の子も交えて言った。

 


二人を目の前に座らせて、目を見て話した。

 


「これまでママはできないことは体ができるまでに成長していないからだと思うから、できるのを待つようにしてきた。しかし、もうあなた達はできるようになっている。今、できないのはできないからじゃなくて、楽したいだけ、したくないだけだ」と伝えた。

 


そして、「基本的生活習慣を身につけてくれたら、ママが助かる」と話した。これはママが楽したいだけに受け取るかもしれないと思ったけど、本当のことだからそう正直に話した。

 


それから、その基本的生活習慣が頭に入っているか確認したいと伝え、一人ずつにい言ってもらった。

 


朝起きてから、帰ってきてから、寝るまでの一連の流れについて。あやふやなところはその場でどうするか決めてもらった。

 


始めは嫌そうな顔、めんどくさそうな顔の二人だったが、徐々にこうすると自分から発言したり、前向きな態度も見られた。

 


翌日、二人は自分が流れに沿って行動をする姿勢が見られた。しばらくするとまた、崩れるかもしれないが言って良かったと思う。

 


現時点での私の感じ方としては

 


親が真剣に伝えれば案外、始めはめんどくさそうな表情があったとしても徐々に聞く耳を持ってくれるものだと。

ポイントは当たり前であるが、真剣さだと分かった。

 


とは言え、色々と不安や気になることはある。

 


十分に甘えた子供こそが自立するという言葉。基本的生活習慣の実行をあまりにさせようとしすぎているのではないかとか。

できるまで、待つ姿勢がいいのかとか。

 


最近、読んだ子育ての本にしつけの意識が変わった。

しつけの本当の目的は自己の気持ちと行動のコントロールと考える力をつけることだと。

 


いろいろ子育ての本を読み過ぎて、迷いや葛藤もあるけど、だからいっそ読むのをやめようとは思わない。少しでも、いい方法を知りたい。

 


これからも読み続けるつもりではいる。

ただ、今回のことで得たこと、変化としては

 


「本に書いてあることよりも自分の感覚を優先して伝えたいことを伝える」ということ。

 


とは言え、注意しなければならいことがある。

 


⒈感情に任せて言わない

⒉命令・指示・禁止は控え、本人に考えさせる

⒊目先の安心より、死ぬまで重要、意味があると思うことを伝える

⒋親が枠組みを決めて、その中は自由にさせる

 


今、ぱっと思いつくのはこの辺り。

 


ではでは。。。。。。

 

価値観について

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 


先日、主人が有名なスポーツ選手のサインをもらってきてくれた。

甥っ子と友人の子供にもプレゼントした。

 


甥っ子の家族はその選手について何も知らなかったようで、反応がほとんどない。一方で友人の家族はその選手のことをよく知っていて、大喜びだった。

 


当たり前の話だが、この出来事に私は改めて“価値を知っている”ということについて考えたくなった。

 


人は知っていると知らないではこんなに感情が変わってくるのだと。

“価値を知っている”ことを増やした方が人生楽しめるなと思った。

難しいことを考えず、人生を楽しむために単純にいろんな知識を広げいこうと思った。

 


知識を思考の糧にするとかではなく。

今回は知識で価値を知り、人生を楽しむってことだ。

 

 

 

“知らないと価値がない“

“価値を知っていると人生を楽しめる”

 


要はこの2点だな。

 


この前、仏教の話で人間に生まれ変わるのはどんなに難しことかっていう例え話を聞いた。

 


これを聞いて人間である私が何だか、とても貴重に思えてきた。

 

 

 

価値があるかどうかは知っているかどうか。

この絵がピカソが描いた絵だと知ると、その価値が分からなかった人にとっても価値が出てくる。

 


一方で本当は価値がないものを有名だからだと言って、喜ぶパターンもある。

その行為は滑稽に思える。

 


価値を知って人生を楽しみたいけど

価値のないものを価値があると思い込んで難有ることも嫌だな。

 


楽しければいいのかな。

 


人それぞれの価値観とは

人によってその対象に価値があるか、ないか違うということ。

 


人それぞれの価値観によって

価値がないとか、あるとかにならないものもある。

 


水、空気、食べ物。。。

 


これらこそ本当に価値あるもの。

 


それは生きていくために絶対に必要なものだから。

 

 

 

価値があるっていう言葉には2種類あるということだ。

 


①すべての人にとって価値あるもの

②個人によって価値の差が出るもの

 


さて、ここで子育てに絡めていく。

 


子育てにおいて親の価値観って影響するように思う。それは自分自身が親の価値観に影響を受けているからだ。

 


親が何が本当に大事なことかを教えること

 


自己肯定感さえあばそれなりに育てつのか

 


情報過多の現在 当たり前が崩壊している現在

 


価値とは何か

ここのことを考えると実はものすごくいろんなことにつながってくる

 


Wikipedia より

価値観とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。

価値(善悪、好ましいこと、好ましくないことなど)を判断するときの根底となるものの見方。

物事を評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何にないのか)という判断。

ある人が抱く価値観は、その人の具体的な行動となり「ライフスタイル」や「生き様」などになって現れることは多い。

 


親が価値を子供に伝えておくことで、子供はその枠組みの中で世界を見通せるのではないだろうか。

子供の中で育った道徳心の中で、判断し行動していくのだろう。

 


中途半端ですが、ではでは。。。。

子育ての本を読んでから、➕自分の実際のこれまでの子育て・自分の人生経験の感覚をもとに子育てを考察してみる  親は何を考えて育てなければならないか  2020.9.3

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 

 

結果:子育てで一番重要なことは「自己肯定感」だと定まった

  「自己肯定感」とは:自分は大切な存在なんだとういう自己肯定感

   自己肯定感の育て方:安心感

             心の成長は「甘え(依存)と自立を繰り返す」

             甘えの時期、親から安心感を得る。

             安心感を得ると 

             自由になりたくなり、自立と向かう

    ➕これは私の見解だが、自己肯定感を高めるには安心感とと共に、特別

     感があるとさらに高まるように思う

   自己肯定感の高め方:「ほめる」

      「ほめる」とは:評価することではない、「ありがとう」

             「嬉しいよ」「助かったよ」という言葉を通して、

              親が喜んでくれている、自分は役に立つ存在なん

              だとう自己認知が高まる

 


♡安心感とは年齢、発達段階によって変わってくると思う♡

   『甘え』=『依存』←「安心感」

              ↓『自立』

 


  0歳〜1歳半:生理的欲求に応えることによって、この環境に安心感  

        を抱く。また人に対しての信頼感となる

 


*この安心感というキーワードを元に考えることが重要

 例えば、母乳がいいのかミルクでもいいのか。肌に触れ合うことがどんなに子供に安心感を与えるか想像つく。だが、肌に触れ合うのは母乳だけではない、もし病気とかで母乳が与えられない場合はスキンシップを取ればいい。ただ、母乳は楽にいろんな利点が取れる。母乳でスキンシップ、免疫獲得とか。

 

  1歳半〜3歳:安心を得て、少し外の環境に興味(自立)を示すようになる

        しかし、まだ一人でできないことが多い。

        だから、それを支えてくれる存在が安心となるのでは

 


  3歳〜5歳:自分で出来ることが増え、いろいろ自分でやりたくなる。

     しかし、本人がやりたいことでも、本人の身の危険上、また社会や他

     人との関わりの中で、やっていけないことがある。そしてより上手に

     生きるための正しいやり方を伝えなければならない

 (ここでは教えなければならないより、伝えなければならないの方がいい)

     この時期の安心感とは悪いことしても、どんな自分でも愛してくれる

     という安心感ではないだろうか。

 


※ここ!!もちろん、身の危険があるときはストップ!しないといけない。

しかしまだ自分の感情がコントロールできない子供に正しいやり方を教える必要があるのか。もしかして、この時期に自分の感情を抑え、コントロールしないと、感情をコントロールできない大人になるのかな。

 


⭐︎長女の時は6歳までほとんどしつけをしなかった。できないのはまだ、できる状態(身体の動き、脳の構造上、心の成長上)ではない考え、できるまでに成長したらできるようになるという姿勢でいた。

結果、今、いい感じに成長していると思う。

 


ただ、お手伝いとか、整理整頓が気になるが。。。。これもまだ、その時期が来てないのか。いや、やはりあまり伝えてなかったからだ。

要はできるかできないかではなく、伝えているか伝えていないかではないかな。

 


 5歳〜7歳:ここで「ほめる」ことによる、自分は親を喜ばす存在なんだとう

       いう自己肯定感を高めるが出てくるのでは。

       だからこの時期にお手伝いさせた方がいいのかも。

 


⭐︎5歳までは自己肯定感を建てる感じで(大切な存在なんだ)で、6歳以降は自己肯定感を高めるを意識しなければならないのでは。

「ほめる」と何か自分な得意なことで自信を高めるみたいな。

 


  8歳〜10歳:情緒的な発達段階?話をしっかり聞いて、自分の気持ちを理解 

        してくれる安心感?

 

  10歳〜:10歳になるとほぼ大人の脳になると言われている。ここの時期あた

      りから、自分で考え判断できるようになるんだと思う。

      ただ、経験不足による判断ミスもあると思うが、それも自分で原因

      と結果をフィードバックしてこそ、成長できるのかも。

      そしてここでの安心感は親自身が幸せそうであることではないか 

      な。この頃になると思いやり脳が発達してくるというし。

     

      後、この頃になると親以外の存在が大きくなる。だから、親が環境

      を選ぶことは大事か?いやここからは自分で判断していかないとい

      けない気がする。その経験こそが重要になるのでは。

 


      10代からの甘えって何だろう。

 


※ただ!!!自分の人生を振り返り、早く知っておきたかったということが多々ある。親はこれからの人生でどんなことがあるのか、どんなことを選択しなければならないのか提示してあげてもいいのではないかと思う。

 


⭐︎後、生まれてからずっとだけど、環境を与えるのは親だと認識しておかなくてはならない。環境とは衣・食・住・教育・生活習慣・礼儀。

人間は環境に影響されて生きて行くことを、環境で作られていることが前提。

 


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 


年齢   甘え     安心感のために  具体的なこと 獲得するもの

    (成長の状況)
0〜1歳半 生理的欲求を お世話      生理的欲求に この世界

     満たせない           応える    に対する信頼感

                                   
1歳半〜3歳 できないこと サポート    情緒的欲求に 人に対する信頼感

      がある            応える          

                     行動を見守る          

                     スキンシップ
3歳〜5歳  どんな自分でも 危険なこと  情緒的な欲求 自己肯定感という

      愛してほしい  以外叱らない  応える   土台

                     行動を見守る

                     スキンシップ


5歳〜8歳 喜ばれる存在   してくれること ほめる  自己肯定感を高める

     でいたい     を喜ぶ   「ありがとう、嬉しいよ、助かるよ」


8歳〜10歳 気持ちを理解   気持ち・考えを聞く 傾聴 自己肯定感を高める

     してほしい
10歳〜  外からのストレスを 余計な口出ししない 傾聴 自己肯定感を高める

      癒してほしい    親自身が幸せそう  親の充実

      自信がほしい    得意を伸ばす    得意なことのサポート

*成長課題はいつか調べてみる

 


10歳以降、親はできるだけ何も言わない方がいい

しかし、現実問題として勉学が気になるであろう

早い段階に勉学について親自身が勉学に対する見解をはっきりして、どうするか覚悟を決めておくことが必要な気がする

 


ではでは。。。。。

              

 


    

 

「ほめる」について〜頭の整理〜

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 


自己肯定感を育てる時、「甘え」と「ほめること」が重要だと言われている。

私はこれまで、どちらかと言うと「ほめる」ことに対して、否定的だった。というか、狭く捉えていた。

 


その理由は「ほめる」とは能力を褒めることだと思っていた。

ほめると言うことは対等な関係でないことを表している、人から褒められないと動かない人にならないかという懸念を抱いていた。

だから「ありがとう」という言葉を使うようにしていた。それは人の役に立って嬉しいとい気持ちを育んで欲しかったから。

 


しかし、ほめるということは能力を褒めるだけではなく、もっと広く捉えることができることを学んだ。

 


「ほめる」とは子供のしてくれたことを親が喜ぶということ。「ありがとう」「助かる」「嬉しい」という言葉を子供は求めているのではない。

親が喜んでくれている姿で、子供は自己肯定感を育むのだと理解するようになった。

 


自分は他人を喜ばせることができる人間なんだ、必要とされる人間なんだと。つながっていく。

 


このことを考えていると、祖母祖父のことを思い出す。私がお茶を入れると必ず「〇〇ちゃんの入れてくれたお茶が一番美味しい」と喜んでいてくれた。私にお茶を入れさせるためにそんなことを言っているのだろうと思うこともあったが、同時に自分は特別な存在なんだというメッセージも感じて、自己肯定感が育まれていたようにも思う。

 


「ほめる」ということはそういうことだった。

 

 

 

最近、子育てについて真剣に向き合っているが、本質を理解することがいかに重要か痛感する。

本質を理解していないと、迷いが増えるし、変な行動してしまうし、結果、目的が達成できない。

 


今後、本質の見抜き方についても深く学んでいきたいと思う。

 


ではでは。。。

現時点(2020.8.28)での子育ての結論〜自己肯定感が生きる上で重要だから親が育てるのだ〜

こんにちは、anponponです。このブログは頭の整理のためのブログなので、脈絡がなく読みにくいと思いますが、ご興味のある方はどうぞ〜。

 


子育てのここまで結論として。

これから先に変わることもあるかもしれないが、

一旦、現時点での考えをまとめる。

 


子育てにおいて絶対に外していけないこと、まず親が最優先で力を注ぐこと

それは『自己肯定感』。環境や親の状況においてはある意味、これだけで良いのかもしれない。

 


今の私にかけてあげたい言葉。

 


『自己肯定感さえ、しっかりしていれば、子供はそれなりに成長するよ』

 


これを最も与えられるのは親。

ただ、いくら親がしっかり自己肯定感を育んでも、外の環境で一時的に低くなることもあるかもしれない。だけど、致命的なことにはならない気がする。

 


ではなぜ「自己肯定感」はそんなに重要なのか。

 


当たり前ではあるが、まず「生き延びるため」なのである。そして、「自己肯定感」があると楽しく、気楽に生きられたり、能力を伸ばすことにもつながり、結果、生き延びることができる。楽しく生きる意欲になるからだと思う。

「自己肯定感」が低かったら、子供は毎日が楽しくない。

 


「自己肯定感」がないと、結局、「非認知能力」が育たない。意欲がない子になる。意欲がある子に育てれれば、親の言うことを聞かなくなった10代の子供に手を焼かなくて良いのではないだろうか。いろいろ言わなくて良い。

10代以降は子供に任せて、親はサポートのイメージ。

 


では「自己肯定感」とは何か。

 


ここで勘違いしないように気をつけなければならない。

「自己評価が高い」ではないこと。自分には〇〇の能力があるとか。自分に自信があるとか。そういうことではなく、自己の存在の認知と、その深さが問題なのだと思う。

 


で、よく言われているのが

 ・生きてて良いんだ

 ・存在価値があるんだ

 存在を丸ごと受け入れるということ

これでも間違いではないが、足りないと思う。

言葉がいくつもあるとブレる。

 


私が選んだ言葉は

  『自分は大切な存在なんだ』

もうこれに尽きる。この一言に限定した方がいい。

 


この前、娘と話していた時に、何かの会話で「子供は親が育てるのっていうのがないのが当たり前の社会で、すべての子供が、優秀で優れた人格者が施設で育てるっていうのが当たり前の社会もありかもよ、みんな親がいないっていう状況ならさ」って話したら、娘は「絶対に嫌だ」と言った。親がいないのは嫌だと言う。いやいや、みんな親がいなければ気ならないんじゃないといっても、嫌だという。

その嫌な理由を聞くと、はっきり言葉にできないけど、娘の言葉を断片的に拾い集めると、みんなと一緒じゃ嫌、自分だけに愛情を注いでくれる人がいて欲しいってことを言いたいみたいだった。

 


なるほど!子供の心を満たすためには自分だけっていう特別感が重要なのだと思った。自分自身の子供の頃を振り返ってみても、その娘の気持ちがよくわかる。

 


始めの頃、このブログで親の役割について考えた時、あえて、親が子供を育てるっていう前提を外して、社会が育てもいいけど、そのような完全な機関がないから、親が育てるっていう考えにあえてしてみた。

しかし、この娘との会話を通して、子供にはやはり親的存在が必要なのだと理解することができた。

 


生きていく上で「自己肯定感」が重要だから、親が育てるのだと。

子供が健全に成長するには親の子供に対する特別感が必要なのだと。

その特別感が「自分は大切な存在なんだ」とういう自己肯定感が育まれるのだと思う。

 


その証拠に、幼い子供であればあるほど、自分のことしか考えない。自分のことだけを特別に扱ってとアピールしてくる。

 


だから、「生きてていいんだ、必要な存在なんだ、価値のある存在なんだ」という言葉では分かりにくいし、十分でない。

 


『自分は大切な存在なんだ』これが一番いい!!

 


自分が大切な存在だと思う人は他人も大切にできる。

自分が大切な存在なんだと思える人は無駄な承認要求を求めないだろう。

そして意欲や好奇心などの非認知能力が育つ。

 


ではでは。。。。